第二章 散歩

会社を休みがちになってしまったA。
毎日職場の人たちからSNSやメールなどで心配しているであろうメッセージが届いている。
ただ、Aはそれらを見ることは無かった。

何をどうしたらいいのか…まったくわからなかったからだ。

「カレーに飲まれたい…。」

Aの頭の中はその言葉が嵐のように駆け巡っているだけだった。
ただ、Aの頭の中の状態に関係なく、世の中は動き続ける。
時間は誰にも平等に流れていく。

気が付いたら夜になっていた。

Aはいつも通りカレーを食べる。

カレーを食べた後…
明日の朝食用のカレーを準備しようとしていたところ、
レトルトカレーのストックが無いことに気が付く。
あろうことか、自分が一番好きで愛してやまないカレーのストックを切らしてしまうとは…。
Aは自分の精神状態がおかしい事に気が付いた。

無意識に呟いていた…

「大好きなカレーを蔑ろにしてしまうとは…。
 今の自分は明らかにおかしい…。」

このままじゃいけない。

Aは、気分転換に散歩がてら少し離れたスーパーに向かう。
そう。カレーを買うために。

街は小さな店が立ち並び、
そこから漏れる明るい光に料理を作る音や笑い声が混ざり合い、活気ある空間が広がっていた。
窓から店内に目をやると
色々な人たちが肩を寄せ合いながら楽しげに会話を交わしている。
その温かな光景は、Aの胸に小さな痛みを呼び起こす。

「あんな風に、皆と一緒に楽しくカレーを食べられる日がくるだろうか。」

そんな思いが、心の奥で静かに蠢いていた。

自然と少しだけ速足になった…。

…………

カレーを買い、満足な表情を浮かべるA。
新発売のカレールーとレトルトカレーを買うことが出来たからだ。
久しぶりにAの顔に生気が宿る。

Aは思う。

「明日は会社に行けるかな…
 みんなに沢山迷惑かけちゃったし…
 しっかり謝らないといけないな…
 お菓子とか配った方がいいかな?カレーせんべいで良いかな…」

そんな事を思いつつ帰路に就く。
Aは、少しだけ気が楽になった事を感じた。

すると何処からともなく大きな声が聞こえてきた。

Aは理由はわからないが、不安な気持ちにさいなまれ…声が聞こえる方向に急いで向かった。

声の主が視界に入る…2人の言い争いだった。
2人の言い争いというより、それは一方的なものだった。
大きな声の主の声は怒号とも撮れるほどに激しく、言葉はさらにとげとげしい。
身振り手振りも大げさで、明らかに相手を見下すような口調と態度だった。
目つきは今まで見たこともないような、非常に冷たい物であった。
あまりにも激しい声と言葉により、周囲の人々も目を伏せ、足早に通り過ぎようとしていた。
誰もが関わりたくない、そんな空気が流れていた。

Aは高圧的な人物の相手に目を向ける…。
周囲の人も心配なのか、相手の方に目を向ける。
本来であれば、困惑や恐怖、悲しみに顔をゆがめているはずだった。

が、違った。

その人物の顔は、頬がほんのりと紅潮し、蕩けるような微笑みが浮かび、恍惚とした表情をしている。
うっとりと、うれしそうに、まるで怒号が甘美な言葉を囁かれているかのように。

周囲の人々は、その表情を一瞬見た後、さらに顔をそむける。
何か得体の知れないものに触れる恐怖が、彼らの足を速めさせた。

ただ、Aは目を奪われていた。
その歪な悦びの姿に…

Aは、彼らを前にしてなぜか心が静まっていくのを感じ、
自分の中の何かが確かに変わったのを感じた。
帰宅したAは買ってきたばかりのカレールーのパッケージを見つめていた。

カレーが好き。
カレーを愛している。
カレーに包み込まれたい。
カレーに飲み込まれたい。

(飲みこまれたい????)

Aは呟く

「いや、なんか違う…」

「カレーと一体化したい。
 そうすれば…
 こんな…こんな…
 よくわからない状態から脱出できるんじゃないか?」

「カレーになりたい。」

「カレーになって飲まれたい。」

Aはふと気が付く。

自分はカレーになって飲まれたいんだ。
そして、飲み込んだ人たちの血となり肉となり、カレーを体中に広げるんだ。
カレーがないと生きていけない体。
常にカレーと触れあっていないと不安感、喪失感、焦燥感に駆られ…
安心感と満足感を得るため、常にカレーを求める人間達にしてしまいたいんだ。
そう。コレだ。コレがしたかったんだよ。

そして、何かに導かれるかのようにカレー工場に向かった。

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