生成AIをそこそこ使う自分だからこそ思う事とか、
1月12日の日記を書いたけど、
もう少し思っていることを言語化してみようと思い、日記に書いてみました。
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便利なものを、何も考えずに「使うだけ」になってしまったとき、
人は自ら新しいものを生み出そうとする発想そのものを、
失ってしまうのではないかと思うんだよね。
インターネットが普及し、誰もが情報を発信できるようになった。
けれど、それも結局は誰かが作ったプラットフォームの上での話なんだよね。
発信される内容を見ても、
誰かの模倣だったり、
既存コンテンツのつぎはぎだったり、
あるいは生成AIが作ったものだったりするんだよね。
それは本当に「クリエイティブ」と呼べるのかな?
個人的には、消費の延長線上にある行為だと思っています。
かつてデジタルディバイドが問題になった時代があったよね。
今でも日本には、「インターネット」を使っている。という意識しないまま、
便利だからと言って、各種サービスを使っている、という人が少なくない。
でもね、
仕組みを知らずとも使える端末やサービスを作った人たちは、間違いなく偉大だと思っています。
ただ、「考えなくても使える」ことと、「考えなくてもいい」ことは、同じではないはずなんだよね。
今の流れを見ていると、いざというときに重要な「コア」の部分について、
自分たちでイニシアチブを握れない、
そもそも作ることすらできない、
そんな状況に陥るのではないかという危険性をはらんでいるんだよね。
便利さの裏側で、判断も、選択も、設計も、
すべてを「誰か」に委ねてしまった結果、
残るのは、消費することしかできない立場になってしまうよね。
だからこそ、
すべてを自分で作れる必要はないにしても、
「考えること」「選ぶこと」「作ろうとする意志」だけは、
手放してはいけないのだと思っています。

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